教員は昨日までただの人だったものが教員になったとたんに偉い存在として扱われる。教室に行けば一国一城の主だ。その思い上がりもあるのだろうが、同僚たちは異口同音に「抑えつけないと生徒に舐められる」という思想だった。
この程度の人間が教員をめざすのかという例がある。教員になって二年目の数学の教員がその年からクラス担任になるというので受け持つクラスの名簿を眺めると、前の年に授業で知っている嫌いな生徒が何人もふくまれていたらしく「何だよこのクラス。こいつもいる、あいつもいる」と嘆いている。それを横で聞いたわたしが「先生が生徒を選ぶのと同じように、生徒も先生を選んでいるんだよ」と言って聞かせたらその若い教員に嫌われてしまったようだ。考え方がまだできあがっていない。過去にそれほど苦労もしていなければ自省の精神も身につけていない。
周りを見渡しても似たような精神の同僚が多く、冬期休暇や夏期休暇などの休みの多い恵まれた職業で、学問の未熟な生徒を相手に適当なことを教えていれば事足りる仕事としかとらえていない。こういう職業に何年も携わっていると、人間として堕落していくのは当然だろう。
そうは言っても、いまでは教員の仕事はたいへんだ。授業も適当に教えていると教育ママたちに押しかけられる。教員お得意の依怙贔屓や体罰でもしようものならつるし上げを食らう。授業以外の仕事も多く、それらは残業扱いはされない。ノルマは高いのに基本給は低い。教員を見る世間の目がわたしと同じになってきたのだろう。わたしはもう55年も前の中学のころから教員なる者には人間として信用をおいていなかった。それなのに、運命はわたしを教員にしてしまった。